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WFSA-FLIPS-GFSA World Championship of Freestyle Skateboard ○開催日:2005年10月1-2日 ○開催地:Sao Paulo |
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WFSA ブラジルレポート ○レポート:Katsu Akiyama | |
お待たせしました。行ってきましたよ、ブラジルで行われたフリースタイルのワールドカップ。
ニューヨークに到着したものの、宿探しに難航、白タクのおっさんが心配して一緒に探してくれる始末。苦労の末、ユースホステルに空室発見!いざ!!とばかり乗ったCABのタイヤが市内でパンク!?車いじり好きな僕は思わず手伝い。 翌朝、日本領事館で訳を話すと無理でしょうとあっさり。その後ブラジル領事館へ出向き待つこと4時間、いましたー日系の美人職員!!セシリアさんを発見!すがりつくように必死の交渉、果たして僕等は翌日の3時には出せるという返事をもらったのでした。その後は思わず近所にあった吉野家USAで牛丼で祝杯!!市内見物してセントラルパークでスケートまでしちゃいました。しかし奇跡としか言うことができない凄い事実!!セシリア・キク・イシタニさん本当にありがとうございました。キクさんのおかげで無事サンパウロに行け、大会に出場してくることが出来ました。赤っ恥をかかなくてすみました。本当にありがとうございます、この場を勝手に借りて心より御礼申し上げます。 大橋 諭、鈴木 茂一、秋山 勝利 以上3名 ペコリンコ m( _ _ )m |
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僕等3人は、シゲト(迎いに来てくれた地元のトッププロ)のアパートに荷物を置きエントリーフィーの代わりとかいう5kgの米を各自買って、直接大会会場に向かった。 日本から来た僕等3人は大勢の地元スケーターと、参加国であるドイツ、ポルトガル、スウェーデンの選手から大歓迎を受けた。屋根付きのアウトドア球技場には2面のバスケットコートがあって、1面が練習用に、1面が大会用に使われていた。僕らはエントリーを済ませ早速練習開始。 そうこうしているとAM CLASSの予選が始まった。参加者は約30人、思った以上に高いレベルの彼等の予選を目の当たりにして(僕は)ビックリ。さらにいうなら、それだけの参加者があれば似たようなスタイルのスケーターもいそうなものだが、既成にとらわれず他と違うことをしてやろう、そうした気概が個性を産んでいるのだろうか、皆、自分の滑りのスタイル、得意技を臆することなく120%の力を持って表現しているようだった。 |
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レールを立ててのハンドスタンドからハンドスタンドのポゴへ持っていく超ド級トリックをメイクする肉体派、そうかとおもえばガンズのロックTにタイトなパンツ、ロン毛をヘッドバンドでまとめてGUNS N' ROSESの曲に乗ってレールからフリップでレールへ、そしてポゴ、又レールへと器用に難易度の高いトリックを次々と決めていくロック兄ちゃん等など、その多彩さに目が離せなかった。 |
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順番が来た心臓バクバク、1本目はノーズの1foot spinが回りすぎてルーティーン忘れて早上がり、2本目は足の筋肉が硬直してしまってやっぱりガクガクのボロボロで早上がり、そんなこんなで20位でした。 AMA CLASSにも全然及ばないことに自己嫌悪と自身喪失、自分の持てる力をこうした場面で出し切ることの難しさを改めて感じた。 そして次の第6ヒートには、我等がモイチちゃん登場。ちょっとしたミスはあったものの、2本のトライともに大技を次々と決め、フィニッシュにヨーヨープラントからホーホー、これが観客を沸かせ、ポイントを稼いだ。結果モイチちゃんは予選3位で決勝進出。 続いての大橋君はスピーディーでリズミカルにスケーティング、フェイキーエアーウォーク トゥ フィンガーフリップ、レールスライド等などを決めて予選17位となった。 |
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10月2日 | |
翌日10月2日の決勝は予選を勝ち残ったAM15名PRO10名で行われた。 まずはAM CLASS 、見るからに前日よりもスキルアップしていることが分かる、PROが予選や練習中に見せていたトリックを自分のものにしてルーティーンに盛り込んでいるからだ。若者のハングリーさと吸収力に驚ろかされた。
実はYOYOは僕の耳元で「お前のノーズ1footのスピンはテールより難しいし、観客が沸くから次はあれをやりなよ、これはショーなんだから。」と。決勝に出るわけじゃないのでどうでもいいやと僕はそれを真に受け、結局たいして回れず1本目に出した13 3/4で6位でした。はめられたー(;_;) |
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予選3位通過のモイチちゃんの出番がきた。僕は彼と一緒によくデモをするが、アガった彼を滅多に見たことがない、いや、ほとんど無い、しかし、この時は珍しいと思うほどにアガがっていた。イージーなミスが目立った。モイチちゃんは戻るなり「いやー、久々に緊張しちゃいました。」とアッケラカン。迎えた2本目はリラックスできたのだろう、まずまずの出来ばえ。得意の走り技に古典的な刻み系フットワークや、ハンドスタンドから180バリアルハンドフリップ等の大技も加えてバランス良く繋げ最後にヨーヨーホーホーでまとめた。 後は結果発表を待つばかり「果報は寝て待て」と言うが、僕等は参加しているすべての選手との交流にその時間を費やした。いつからか雨が降り出し、すでに暗くなっていた。 |
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このリベンジは2005年7月にドイツで行われるワールドカップで果たさなければ、と決意を新たにしたのだ。 僕は、僕等がジャッジをやる立場にならなければ、陸続と続く新しい感性をもったAM CLASS のスケーターに満足感を与えることは出来ないだろうと思った。 ドタバタのブラジルワールドカップ参戦は終わった。滞在日数は現地を発つ日を含めてたったの3日間ではあったが、次のワールドカップでの再会を、地元ブラジル、ドイツ、スウェーデンのスケーター達に約して帰途に着いた。ここに至る道のりを想うと多くの人が出来得ない経験が出来た。関係者の方々すべてに心から感謝いたします。日本のスケート事情はいまだ良くない、しかし世界のどこにでもスケーターはいる、海を越えて彼等と滑ろう、交流を持とう、みんなが胸を開いて待っているのだから。 |
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